◆何を置いても”静思の時”を◆

静思の時を持たずにすばらしい音楽を楽しむのは、きらびやかな衣服で死体を覆うようなものだ。

 

【解説】 おお厳しや、これ、“スポルジョンの箴言”ですね。日本流に言い換えれば、「静思の時を持たない極上の音楽と掛けて、死体を覆うきらびやかな衣服と解く。その“心”は?」というところですが、両者から導き出されるのは、“外見だけを取り繕うことの愚かさ、無益さ“でしょうか。それにも増して恐ろしいのは、“死体”です。神様との霊の交わりのない一日は、そしてそれによってつくられていく人生は、まことの命を持たない死人の体同然だというのですから。他人事ではないのです。私など、あまりにやることが多いと、聖書を開く前に、「まずはメール処理から」とばかり、ついPCを開け、取り込んだお気に入りの音楽をかけながら、メールに目を通してしまうのですから! アメリカのクリスチャンのモットーに、No Bible, No Breakfast “聖書を開かずして朝食ナシ“というのがあります。私はさしずめ、No Bible, No Mailですね。

 

Fine music without devotion is but a splendid garment upon a corpse.