◆クリスマス:新たなる謙卑への旅の始まり◆

キリストにとって、人になることは、大いなる貧しさであった。あなたが人として生きることは、この神性と比べるなら、取るに足らないことだ。

 

私たちは、深い悲しみに満ちた悔悟のうちに、キリストの十字架と共にあるが、ベツレヘムのこのお方の誕生からは、喜び以外の何ものも引き出すことはできないのだ。

 

私たちの本性の中におられる神は、私たちに立ち向かう神ではなく、私たちと共におられる神である。


【解説】 今年のクリスマスも、暦の上では終わりました。でも私たちには、それは新たなる“謙卑への旅”への始まりです。キリスト者の旅は、下に下れば下るほど、今は天の高みにおられる主のもとに近づくのです(ピリピ2:6-11)。
2000年前のクリスマスに、神様は、私たち人間への愛のゆえに、その天の栄光あるご自身の神性を喜んで捨てられたのです。その想像を絶する貧しさに比べるなら、私たちが人として負わねばならない様々な貧しさや苦しみなど、いかほどのものでしょうか。

 

この日、言葉なる神は、私たちの内に宿られました(ヨハネ1:14)。天の高みにおられた神は、私たちのどんな状況にもかかわらず、あなたと共に、あなたの本性と一つになって、今を生きていってくださるのです。毎年のクリスマスは、その“確認”の時です。さぁ、私たちも、このお方、“インマヌエル”の主(マタイ1:23)と共に、“謙卑への旅”に再び出発しましょう。私たちの心のベツレヘムの家畜小屋から、“大いなる喜び”(ルカ2:10-12)に満たされて――。

 

It was great poverty to Christ to be a man. Humanity is a poor thing when you set it in comparison with the Deity.

We associate with His crucifixion much of sorrowful regret, but we derive from His birth at Bethlehem nothing but delight.

God in our nature is not God against us, but God with us.