◆エペソ1:3~5のスポルジョン流講釈◆

“時”の始まるずっと前、
“天地”が創られる遥か昔に、
神は、自らの心に、
ご自身の“選びの民”の名前を書き記された。

 

(エペソ1:3-5) 「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」

 

【解説】 キリスト教は、ある意味、神秘的な宗教です。“奥義”に満ちています。その中でも、私が最大の奥義と信じるのは、次の二つです。一つは、“神が人になられた”ということ。今年も迎えようとしているクリスマスですね。もう一つは、天地の創られる前から、“この私が神様によって選ばれていた”ということです。いかなる人間の理性によっても、科学の力によっても、この奥義を解明することはできません。ただ畏れと感謝のうちに、信仰によって受け入れるしかないのです。私という存在は、歴史のある時に地上に生を受け、”健やかであっても80年”の、ほんの砂粒のような一点を生きて、歴史のかなたに消え去る存在にしかすぎませんが、天においては、ご自身のみ子が栄光の座を捨てて地に降(くだ)り、この私の罪のために命を捨ててくださるほどに神に愛され、選ばれた“いのちの書”に、この名は永遠に刻み込まれているのです。なんとかたじけないご恩寵でしょうか! かの詩篇の記者と共に、私はただこう叫ばざるを得ません。あなたは、いかがですか?


(詩篇 8:4) 「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」

 

Long before time began, or space was created, God had written upon His heart the names of His elect people.