◆明け渡しの意味するもの◆

人は、(救われたときに:訳注)たちどころに人生を明け渡すのではありません。一生に関わるものだけが、生涯を通して明け渡されていくのです。
~エリザベス・エリオット~

 

【解説】 これは、救われた者の”聖化”の過程を、“明け渡し”という言葉で述べたものと言ってもいいでしょう。なんとなれば、聖化とは、一瞬の出来事ではなく、生涯を通して、召されるその時まで、なされることだからです。その意味で、“一生に関わるもの”とは、その人の全存在、人格そのものと考えていいと思います。“聖化”(聖く変える)とは、人の業ではありません。ひとえに神ご自身のみ業です。そして“明け渡し”とは、100パーセント私たちのなすべき業です。この二つは、神のコインの両面なのです。私たちの間断なき明け渡し(それは、悔い改めと献身とより成ります)を神様が受け入れ、私たちを昨日より今日、今日より明日へと、少しずつ聖い者に変えていってくださいます。多くの人は、「自分は聖くない。少しも霊的に進歩していない」と悩みます。そんな方に、2つのことを申し上げておきますね。1つは、あなたがそう思ってしまうわけは、上述した、悔い改めと献身から成る“明け渡し”が徹底していないからだということ。主の前に己のなすべきことをしないで、恵みだけを求めてはいけません。いま1つ、大切なのは、弱い、不十分な自分を見て嘆くのではなく、聖めてくださる主のみ力を、大胆に信じることだということ。あなたが聖くなるのは、神様のみ心ですから、「こんな私の内にも、神様は今、聖化の業を成してくださっているのだ」と、み言葉に立って、固く信じることです。これはつまるところ、“信仰”の問題なのです。もう一度言います。“自分を”ではなく、“我が内に働く神の力を”信じる。――ここから全てが、“生涯を通して”、変わっていくのです。そのとき、もはや自分がそれを自覚できるかどうかは問題ではありません。いえむしろ、その人は、自分が変わっていることにさえ気づかないでしょう。かの神と合いまみえたモーセが、自分の顔の輝きに気づかなかったように(出エジプト記34:29)。あなたの聖化を知り、喜ばれるのは、ひとり、それを成してくださった神様のみなのですから――。

 

(Ⅰテサロニケ 4:3) 「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」

 

One does not surrender a life in an instant. That which is lifelong can only be surrendered in a lifetime.” —Elisabeth Elliot