◆神のあわれみを受ける人◆

罪びとは神のあわれみを受けるが、自分が罪びとであることを認めない人には、神のあわれみはない。

(ルカ18:9-14) 「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。 『ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

 

There is mercy for a sinner, but there is no mercy for the man who will not own himself a sinner.