◆天国でも報酬を求めるおつもりか?◆

 

しかしながら兄弟姉妹、私たちは、世の人々のようには天国に行くことはできないのだ。なんとなれば、そこには我々を喜ばせるような心づけも報酬もないからだ。

 

 

 

【解説】 ここにも、スポルジョンの痛烈な皮肉が込められています。神様からの金銭では代えられない誉れを知らないこの世の人々は、人生これひたすら“損得”で生きています。「これをしてやったから、このぐらいはもらえるだろう。」「あれだけのことをやってあげたんだ、向こうも相応のものを考えてくれるはずだ。」……。そして、死んだら何一つ次の世に持っていくことはできないとは分かっているはずなのに、天国に行くときにも(仮に行けるとして)、地上の業績に対する報酬を期待するだろうというのです。もちろんキリスト者は、そんな期待をもってみ国に行くわけではありません。栄光の主のみ前に出たら、こうべを垂れて、(ルカ17:10 「私は役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。」と言うだけです。そのときに、(マタイ252123)「よくやった。よい、忠実なしもべだ」と主に言っていただければ、それでいいのです。私たちは、この地上に在っては、(Ⅰコリント 10:31)「食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すために。」するだけなのですから――。

 

 

 

"But, brethren, we cannot go to heaven as worldly men; for there would be nothing there to gratify us."