もし私が、神のみ言葉だけを宣べ伝えて、一人の魂も救われないとしたら、王なるお方はこうおっしゃるだろう。「よくやった。善かつ忠なるしもべだ!」 もし私が、自分のメッセージのみを語り、誰もそれを聴こうとしなかったら、王はこう言われよう。「お前は良き戦いを戦った。お前の冠を受けるがよい」と。
【解説】 同じ講壇から語り、聴衆の反応が皆無に等しかったとしても、語る内容によって、報いが違うというのです。神のみ言葉のみを語った者には、主のしもべである私たちが最も聞きたい“金のひと言”を頂くことができます。けれども自分自身の思想に基づく説話に終始した者には、何とも皮肉に満ちたひと言が与えられます。そして受けるのは、主から与えられる義の冠(Ⅱテモテ4:8)、いのちの冠(黙示録2:10、ヤコブ1:12)、朽ちない冠(Ⅰコリント9:25)、栄光の冠(Ⅰペテロ5:4)、喜びと誇りの冠(Ⅰテサロニケ2:19)ならぬ、「お前の冠」です。これは別名「自己満足の冠」といい、自分でかぶせるのです! 主よ、時がよくても悪くても(Ⅱテモテ4:2)、いえ、今は悪い時代ですが(エペソ5:16)、あなたのみ言葉のみを語り続け、かの日に、あなたのこのひと言を頂けますように――。
(マタイ 25:23) 『よくやった。良い忠実なしもべだ。』
If I do but preach Gods word, if there never were a soul saved, the King would say, “Well done, good and faithful servant!” If I do but tell my message, if none should listen to it, he would say, “Thou hast fought the good fight: receive thy crown.”
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