◆聴衆に媚びるは娼婦の業なり◆

 

“キリストへの信仰による義”の占めるべき位置に、異なる救いの道を据える教会は、“娼婦の教会”である。

 

 

 

【解説】 スポルジョンの舌鋒は、時として鋭くて歯に衣を着せぬほどであることは周知の事実ですが、これはその極みですね。「そこまで言う!」という感じですが、こういう言葉に出くわすのは、まずない経験ですから、この際、彼の言う娼婦の教会の特徴を考えてみましょう。

 

  1. そのメッセージは、永続しない、つかの間の喜びしか与えません。

  2. 聖職者は会衆に媚び、会衆の喜ぶことしか語りません。

  3. 会衆は、まことの愛によらない、表面的な“リップサービス”にすぐ渇き、深く魂を満たされることがありません。

  4.  この教会が提供する“ギブ&テイク”の打算的な“ビジネス”には、キリストの無償の愛に対する信徒の献身の思いが生まれる余地はありません。

  5. 何より致命的なのは、“異なる福音”に、人を真の悔い改めに導き、魂を新生させ、神のみ前に義とする力はありません。それのみか、その誤った教えによって、迷える魂を永遠の滅びに向かわせるとすれば、その罪は万死に値すると言うべきです。

日本の教会(=私の教会)が、キリストの福音をストレートに説き明かし、キリストの愛を実践する教会でありますように。