◆ねたみ: 創造の呪い◆

 

ねたみは天で呪われたものである。しかり、それはサタンの産んだ悪徳の中で、“最も恥ずべき長子”である。人に“富”を与えたとしても、その人に“ねたみ”を抱かせてみよ。見事に生い茂った木の根ものとには虫が巣くうのだ。あるいは人に“幸福”を与えても、もしその人が他人の地所にねたみを持つならば、幸せと思えていたものは、惨めさに成り代わってしまう。なぜなら、その幸せは、もはや他人の幸せよりもすばらしいものではなくななるからである。

 

 

 

【解説】 “ねたみはサタンの最初の所産である”という昨日の私の苦心の(?)考察は、今日のスポルジョンがちゃんと言っておりました! いずれにしても、“ねたみは罪の長子”なのですから、その中に生きていると、次の2つの症状に間違いなく陥ります。

 

①ねたむ相手の状態を自分が超えることによって、ねたみをなくそうとするので、果てしなき欲望の中に自分を追いやることになる。

 

②スポルジョンが言うように、自分を超えるものを相手に見いだしたときには、ねたみと共に、自分が限りなく惨めなものに思えてくる。それは自分に対する自信を失わせ、自己尊厳と自己受容の道を閉ざしてしまう。

 

この“ねたみ”は、己を誰よりも高みに置こうとする人間のエゴ=自己中心の罪の本質です。“罪のコイン”の表は“エゴ”であり、裏は“ねたみ”なのです。そうやって、絶えず他者と比較させることによって、人間を際限のない不幸と惨めさの中に閉じ込め、その良心をマヒさせ、自分の支配下に置こうとする。――これが恐るべき闇の帝王サタンの人間支配戦略の構図です。そこから脱却する道は、ただ一つ、“人と比較する生き方”にきっぱりと決別すること。そして、私たち一人一人を、他にかけがえのない、世界でただ一人の高価で貴い存在だと言ってくださる神様の愛の懐に、安らいで生きることです。「私は私。神様に愛され、守られている私。私はこのお方に在って、今日も、明日も生きていきます。」――そんなあなたの中に、サタンの送り込む“ねたみ”が入り込む余地はもはや残されていないのです。

 

 

 

(イザヤ 43:4 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

 

(詩篇 118:6 「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。」

 

 

 

Envy is accursed of heaven; yea, it is Satans first-born-the vilest of vices. Give a man riches, but let him have envy, and there is the worm at the root of the fair tree; give him happiness, and if he envies anothers lot, what would have been happiness becomes his misery, because it is not so great as that of some one else.