◆信仰とは◆

 

信仰とは、心配や気苦労がないことではありません。

 

信仰とは、“祈られた恐れ”です。

 

~作者不詳~

 

 

 

【解説】 “祈られた恐れ”――。信仰の様々な定義の中で、私は初めて聞いた言葉ですが、味わいがあると思いませんか? 「信仰を持てば、心配や気苦労はなくなる。」 これは、ある種の“強がり”、いえ、はっきり言って偽善です。信仰者となっても、恐れや不安は消えません。おそらく死ぬまで――。でも、世の人の恐れと決定的に違うところは、私たちの恐れは、“祈られた恐れ”であるということです。“祈りに包まれた恐れ”と言ってもいい。ここの原文は、has said a prayer、現在完了形です。恐れは依然としてある。でも、あなたは、ひとたび祈ったのです! 神様に知っていただいたのです。主は確かにそれを聴かれ、受け止め、父なる神に、あなたに代わってとりなしを始められたのです。この大いなる恵みの前に、“恐れ”は、それがどんなものであれ、既にその力を失っています。恐れはなくならない。けれども、“祈られた恐れ”に、もはや私を打ち負かす力はない。なぜなら、それは、災いをも益としてくださる神様のみ手に、100パーセント委ねられたからです。”恐れはある。でも祈ったから大丈夫!“――これが私たちの信仰です。

 

 

 

"Faith is not without worry or care, but faith is fear that has said a prayer. "

 

 ~ Unknown