◆政教分離で政治は良くなる?◆

 

「政治に宗教を持ち込むな」という言葉を、私はしばしば耳にする。だが信仰が持ち込まれなければならないのは、まさに政治の世界なのだ!

 

 

 

【解説】 先頃の東京都知事の辞任。就任前の公約とは裏腹の、”公私混同”を得に書いたような、都民の税金の乱用・私用と、何ら正しく裁かれないまま、もらうものはしっかりもらい、世界に“Sekoi”の日本語を知らしめて、ひと言の挨拶も、悪びれるふうもなき堂々の退陣劇。

 

およそ人間としてのモラルが、最も踏みにじられるのが政治の世界だと言っても、過言ではないでしょう。政治に特定の宗教の支配を許すことは、もちろん断固として避けなければなりませんが、真の“サーバント・リーダー(仕える指導者・公僕)”は、まず何よりも政治の世界に求められることです。そもそも一国の“首相”も、字面で読めば“宰相の首(かしら)”ですが、真に意味するところは、英語のPrime Ministerプライムミニスターからも分かるように、“仕えるもののかしら・先頭に立って仕える者=首僕相”なのです。このような政治家としての基本姿勢は、まさしくイエス・キリストのうちに見られるものです(ピリピ2:8)。それだけではありません。

 

・あらゆる差別を憎み、

 

・女性の人格と権利を尊重し、

 

・むさぼりと搾取を厳しく糾弾しつつ、自らは必要最低限の生活規準を遵守し、

 

・徹底して弱者を擁護し、

 

・大勢(たいせい)に流されずに少数派の主張に真摯に耳を傾け、

 

・何よりも平和を愛し、武力による国家の支配と国民の動員体制を断固として許さない。

 

このようなまことの政治家のあるべき姿は、全て、我らの主イエス・キリストの地上の生涯のうちに見られたものです。間もなく参議院議員選挙。このような精神を持った政治家が現れるように祈り、そのような候補者に進んで一票を投ずる。そして、その活動に注目し、必要な支援を惜しまない。――これが、スポルジョンの言う“政治に信仰を持ち込む”ことの真の意味だと私は信じています。

 

 

 

I often hear it said, “Do not bring religion into politics.” This is precisely where it ought to be brought!