◆♪ああ恵み◆

 

“恵み”とは、”聖さ(聖性)”の母、また乳母であり、“罪”の擁護人ではない。

 

 

 

【解説】 神様の一方的な救いの恵みにあずかった者に、神が聖書全体を通して繰り返し命じているのは、「聖くなりなさい」という戒めです。そしてその戒めに心から従うことができるように、救われたあとも、恵みから恵みへと私たちを導いてくださいます。神様の恵みが聖さを産み、それを育ててくださるのです。それを、“神は恵み深いお方だから、どんな罪を犯しても、大目に見てくださる。寛大な心で赦してくださる。”と、あたかも神の恵みを人間の罪の擁護者、弁護者のように考えるのは、大いなる誤解です。そこにあるのは、己の罪に対する“甘え”であり、心からの悔い改めを妨げる人間の“傲慢”です。神のみ子の命と引き換えに与えられた高価な恵みを、己の罪を覆い隠す隠れ蓑のように利用することは、ボンヘッファーが鋭く指摘したように、その恵みを限りなく安価なものにすることです。何よりもそこからは、神様が私たちに求められる“聖さ”への渇望は、生まれるべくもないのです。
あなたは、神様の恵みを、大きなものも小さなことも、一つ一つ数えて感謝していますか?(詩篇103:2) その感謝を、神様がさらなる“聖さ”へ成長させてくださる霊の乳としましょう。

 

 

 

(Ⅰペテ 2:2 「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」

 

(Ⅰペテロ 1:15,16 「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない』と書いてあるからです。」

 

 

 

Grace is the mother and nurse of holiness, and not the apologist of sin.