◆キリスト者よ、心せよ◆

 

我がきょうだいよ、今一度言う、心せよ。なぜなら、堕落は、キリストの大義(この世に来られた目的=罪びとを救い、永遠の命を与えること)を全く台無しにしてしまうからだ。いかなるものも、神の民の堕落ほどには、信条の半分も、いや千分の一も損なうものではない。嗚呼、まことの信仰者が罪を犯すとき、世の人は彼を指してなんと言うであろうか?

 

 

 

(Ⅱサム 12:14 「しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」

 

(詩篇51:4 「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。」

 

 

 

【解説】上記2つの聖句は、いずれも、ダビデ王がバテシバとの間に姦淫の罪を犯した時に関するもので、前者は預言者ナタンの断罪の言葉、後者はダビデの悔い改めの祈りです。キリスト者が罪を犯すとき、それはまだ信仰を持たない人が冒す罪よりも、はるかに責任が重いのです。その理由を、この2つの聖句は示しています。

 

① (Ⅱサムエル)主の敵に大いに侮りの心を起こさせ: この罪を拍手喝さいして喜ぶのはサタンです。そしてキリスト教を快く思わない人々、敵対する人々には、「あれを見ろ。どんなに敬虔ぶっても、あんなことをするんだぞ。人の行いには人一倍うるさいキリスト教も、しょせんあんな程度か」とあなどられてしまいます。

 

②(詩篇)あなたに、ただあなたに罪を犯し: キリスト者の罪の結果、汚され、おとしめられるのは、罪を犯した人間の名声でもなければ、過去の実績でもなく、“神様ご自身の聖いみ名”なのです。昔、主君と固い信従の絆に結ばれた武士は、犯した罪が主君の栄誉を傷つけると知ったとき、それだけをもって万死に値するものとして自ら命を絶ちました。まして私たちにおいてをやです。

 

キリストの貴い命をもって贖われた私たちにも、サタンは最後まで、堕罪への誘惑の手を緩めることはありません。”私はしっかりと立っているから大丈夫”とおごることなく、いつもへりくだり、自分の前に主を置いて歩んでまいりましょう。それでも己の肉の弱さのゆえに罪を犯したときは、そんな私のために祈っていてくださる主がおられることを決して忘れずに(ルカ22:32)――。

 

 

 

Once more, my brother take heed, because a fall will so much damage the cause of Christ. Nothing has hurt religion one-half, or one thousandth part, so much as the fall of Gods people. Ah! when a true believer sins, how will the world point at him.