◆”立っている”と思う人もご用心◆

 

”自分はしかと立っている”と思う人は、誘惑の道から身を守るべく注意を払うことはありますまい。いやむしろ、その誘惑に突き進んでいくであろう。

 

 

 

【解説】 スポルジョン、人間をよく見てますねぇ。「あ、私だ」と思った方、いらっしゃいませんか? ここ数日、彼はいろいろなタイプの人に警告を発していますが、その根底は共通しています。”自己過信””うぬぼれ”ですね。その基になっているのは、自分中心の“罪”。今日のタイプの人も、その最たるもので、「私は大丈夫。ちゃんと身の程をわきまえてるから。誘惑なにするものぞ」とばかりに奥へ奥へと入り込んで、気がついたら、したたかに地面に打ち倒されている惨めな自分に気づくのです。でも、人間、気づいたときは十字架の主を仰いで悔い改めればいいのです。ああ、幾たび私は十字架のもとに悔いくずおれたことか! この気づきを与えてくださるのも、主のあわれみです。そして、どんなに大きな罪を犯しても、気づいて仰ぐ十字架は、“再生への道”の出発点なのです。

 

今一度、昨日と同じみ言葉を掲げておきます。

 

(Ⅰコリント 10:12 「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」

 

 

 

The man who thinks he stands will not be careful to keep out of the way of temptation, but rather will run into it.