◆自分の心に”楽観主義”は禁物です◆

 

あなたは“良い心”をお持ちだろうか? “良い心”ですと?! 預言者エレミヤは、あなたよりは良い心を持っていたが、それでもなおこう言った。(エレミヤ 17:9 「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」 いや、そのような深い暗黒の世界を、人が一夜にして学び知り得るわけがない。神だけが、人の心の邪悪さをご存じなのだ。

 

 

 

【解説】 かつて、創造主なる神様は、人間より少し賢く創られた天使が、堕落して奈落の底に落ちていくのを、断腸の思いをもって見送られました。以来、闇の世界の黒い天使、サタンは、人間の敵、神の敵として、私たちの心を傲慢で自己中心の罪の中に閉じ込めてしまいました。イエス様の十字架の救いのみ業は、この神様とサタンの対決の視野から見るならば、いわば必然であり、究極の選択であったことが分かります。私たち人間を、罪から引き出してサタンの力から解放し、ご自身のもとに帰らせるためには、ご自身のみ子の身代わりの死という大いなる犠牲を伴うみ業以外に、サタンの力を封じ込める手段はなかったのです。み子の貴い命と引き換えにすることによって初めて、サタンは十字架の下にその頭を砕かれました(創世記3:15)。それほどに、神様は、サタンの狡猾さを熟知しておられたのです。

 

私は、時として、それまでは”そんなにひどくはないだろう”と思っていた自分の心が、あまりに冷酷で、自分中心で、愛のないものであることを知って、愕然としたことが一度ならずあります。そのたびに、このエレミヤの言葉を思い出し、私は涙して悔い改めました。私たちは、少なくとも事、自分に関しては、”自分はよい心を持っている”という幻想は、決して抱いてはなりません。その逆です。己の心の邪悪さをまだ具体的に味わったことのない方は幸いですが、それでも上記エレミヤの言葉(聖書ですからもちろん真理です!)の、”人”を”私”に読み替えて、いつも覚えていることをお勧めします。そして不幸にしてそのような自分の姿に直面した時は、そのままで、主のみもとにゆくことです。十字架の主にのみ、赦しがあります。そのときのあなたを苦しみと絶望から救うためにも、主は命を捨ててくださったのです。

 

(Ⅰヨハネ 1:9 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

 

 

 

Good hearts, have you? Good hearts! Jeremiah had a better heart than you, yet he said, “The heart is deceitful above all things, and desperately wicked; who can know it?” No, the black lesson cannot be learned in a night. God alone knows the evil of the heart.