◆祈りの生活>誘惑◆

 

あなたの祈りの生活は、あなたが直面している誘惑よりも“大きい”ことが必要です。

 

~アレン・フッド~

 

 

 

【解説】 この言葉の実証は、なんといってもイエス様のご生涯です。天から下られたイエス様が、地上でどのような“人”としてご生涯を送られたか、”愛の人”、”あわれみ深い人”、“権威ある人”、いろいろな呼び方ができる中で、とりわけ私たちにとって印象深いのは、“祈りの人”としてのイエス様です。枕するところもなく旅をしながら、3年半という短い地上の公生涯で、数々の力ある業をなさった背後には、いつも主の”祈り”がありました。そして、最大の敵、サタンの誘惑に対しても、あの荒野の誘惑やゲツセマネの祈りに見られるように、主は血の汗を流すような祈りの苦闘によって、最後の勝利を得られたのです。私たちは決して自分の力でサタンの誘惑に勝てるなどと思ってはいけません。イエスの祈りの生活に倣いましょう。“祈りの生活の大きさ”とは、必ずしも祈りに費やした時間の多さとは限りません。それは、日常生活の中での、“イエス様との結びつきの強さ”です。どこで何をしていても、いつもイエス様と心の会話をしている親密度の強さです。これが真の意味での“祈りの生活”なのです。その大きさ、豊かさの前に、サタンが誘惑できる心の隙間は生まれようがありません。

 

(Ⅰテサロニケ 5:17 「絶えず祈りなさい。」

 

 

 

"Your prayer life needs to be bigger than the temptation you are facing."

 

—Allen Hood