◆永遠(とわ)に失わざるもの◆

 

あなたがキリストにささげたものは、決して失われることはないのです。

 

 

 

~エリザベス・エリオット~

 

 

 

【解説】 この言葉を聞いて、まず思い浮かべるのは神様への献金でしょうか。もちろんそうですね。でもそれだけではないのです。キリストのために、主をお喜ばせするために、“財”と共にあなたがささげた“労力”も、“時”も、決して失われることはありません。時には、最も貴いもの、命さえも――。

 

この言葉を残したエリザベス・エリオットの最愛の夫ジムは、南米エクアドルのアウカ部族に福音を伝えようとして、殉教しました。そして彼女もまた、その彼らを赦し、夫の遺志を果たすため、幼い子どもたちを連れて、ジャングルに踏み入ったのでした。その彼女の言葉なのです。彼女は、夫の死は決して無駄ではなかったこと、一粒の麦の死はやがて必ず多くの実を結ぶこと、そして、キリストにささげた夫の命は、決して失われることなく、キリストに在って生きていること、やがて愛する人に再会できることを信じて疑わなかったのです。

 

私たちも、改めてこの言葉を心の奥深くにしっかり据えたいと思います。あなたは今、失ったものの大きさに、途方に暮れていますか? 何もかも無駄だったのでは、と、疲れとむなしさを抱えていますか? いいえ、決して! 主を第一とするためにあなたが人知れず払った犠牲も、流した涙も、全てキリストはご存じで、ご自身の御懐に、永遠に覚えていてくださいます。なぜそのことが信じられるのか? それは、キリストが今も生きておられる神様だからです。あなたのために喜んで命を捨ててくださった愛のお方だからです。

 

ただし、これには1つだけ絶対条件があります。。己の利益、己の栄誉、己の徳、これらは地上だけのもの、あなたの死と共につかの間に消え去ります。ただ「キリストに」「キリストのために」――。神様は、この“動機”だけをご覧になります。私たちのなす業、ささげたものの大小は一切み前に問われることはありません。この動機でささげられたものだけが、永遠に失われることなく、主のみ前に残るのです。

 

(Ⅰコリ 15:58 「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」

 

 

 

You can never lose what you have offered to Christ.

 

-Elisabeth Elliot-