◆主の”たまもの”によって生きる◆

 

この天の下に、イエス・キリストのうちに備えられたもの以外に、あなたに必要なものなど、何もないのだ。

 

 

 

【解説】 これを訳していて、“たまもの”という言葉の意味を改めて考えました。私たちは、普段、”たまもの”と言えば、神様から与えられた特別なタラント、才能のことをまず思い浮かべます。「歌はあの人のたまものね」とか。広辞苑にはこうあります。

 

①恩恵や祝福として与えられたもの。賜りもの。「水は天からの~」

 

②あることの結果として現れた良いもの、またはことがら、成果。「努力の~」

 

でも、この①にあるように、“たまもの”は本来、神様の恩恵、祝福として与えられた全てのものを指すのですね。この理解をもってもう一度スポルジョンの言葉を読み返すと、「私たちに本当に必要なものを、私たち以上にご存じのイエス・キリストによって与えられた恵みのたまもの以外に、必要なものなどあろうか。もしあるなら、それは人間の”むさぼり”から出ているのだ」と読めてきます。そして、あのイエス様の山上の教えも響いてくるのです。

 

(マタイ6章)

 

6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

 

 6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

 

 6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

 

 6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

 

 6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

 

 6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

 

 6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

 

 6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

 

 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

 

 6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

 

 

 

"There is nothing that you need between here and heaven which is not provided in Jesus Christ."