◆何でもアリはなんでもナシに通ず◆

 

神も持ち、なんでも持っている人は、神だけを持っている人とたかだか同じでしかない。

 

C. S. ルイス~

 

 

 

【解説】 人間観察の鋭いC. S. ルイスの目は、大切なところをちゃんと見ていますね。前者の人は、神様を信じていても、その神様は、彼の多くの有形無形資産の一つにとどまっています。“私にはなんでもあって、おまけに神も信じてる”という人間的“箔づけ”の一つにしかすぎません。それに対して後者の人は、他に何も持っていないかもしれない。財産も、名誉も、地位もない。家族もいないし、健康にも恵まれてない。もうその人には神様しかいない。一日一日を、このお方に頼って生きるしかない。ただ神様だけ、神様が全ての全て――。

 

高みにおられて人の営みの全てをご覧になる神様の目には、前者の人は、人の目には有り余るほど全てを持っているように見えても、せいぜい後者の人と同じ、いえ、神の国の標準で言うなら、前者の人は“無”であり、後者の人は“全て”を持っているのです。なぜか? み言葉は言います。

 

(Ⅰヨハネ 5:12 「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」

 

(マルコ4:25 「持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。」

 

天においては、持つ・持たない“を判断する基準はただ一つ、神のみ子イエス・キリストを信じ、心に持っているか否かであり、神のみ子=永遠の命を持っている人はさらに霊の恵みを豊かに与えられ、ひいてはあの知恵を求めて全てを得たソロモンのように、物質的にも豊かになります。一方、自分では持っていると思っていながら、その実、心の王座にしっかり主を迎えていない人は、霊的に貧しくなり、ついには物質的にも無一文になってしまうのです。今、静かに自分の心に問うてみましょう。「私の神は、持っている多くのものの中の一つか? それとも、なくてはならないただ一人の神か?」と――。

 

 

 

He who has God and everything else has no more than he who has God only.

 

-C. S. Lewis