◆み霊によって歩むとは?◆

 

私たちは、神様と話す以上に、み霊によって歩くことはできません。

 

~マイク・ビックル~

 

 

 

【解説】 この言葉は、私たちがよく知っている、そして“信仰生活のキモ”とも言うべきみ言葉、「み霊によって歩みなさい」(下記ガラテヤ書)という聖書の勧めの大切さを、改めて考えさせてくれます。2つのポイントをお話ししましょう。

 

1つは、“み霊によって歩む”とは、どういうことか、ということです。み霊=聖霊は、言うまでもなく三位一体の神様の一位格で、信じる者の心の内に住みたもうお方です。このみ霊は、父なる神様のみ霊であり、子なるキリストのみ霊でもあります。キリストは、天に挙げられる前に、下記のみ言葉(ヨハネの福音書)のとおり、ご自身の代わりにみ霊をお与えくださると約束なさいました。したがって、私たちが「み霊によって歩む」と言うとき、それは今も生きて、あなたの内に在って働いておられる“内住のキリスト”の導きのもとに生きるということです。このお方がなされる様々な業の中で、最大のもの、そしてまたすべてのみ業の”集大成”とも言うべきものは、これも下記のみ言葉(ガラテヤ書)のように、私たちの内に“ご自身のご人格をかたちづくらせる”ということです。それは、具体的にはどういうプロセスでなされるのでしょうか?

 

それが2つ目のポイントです。その”聖化”のプロセスは、内に生きておられる内住のキリストとの、途絶えることのない“会話=祈り”によってなされるのです。それは、静思の時だけではありません。目覚めているときも、眠っているときも、絶えず、心を100パーセント、このお方にオープンにして、このお方のみ声を聴き、またあなたが話しかけることによってなされます。そして、これが今日の言葉のコア(中枢)ですが、私たちの、“み霊によって歩むこと”=“内住のキリストと共に生きること”➡ “私たちの内にキリストのかたちが成ることの達成度、成熟度は、私たちの神様との会話の程度=内住のイエス様との親密度に比例する、決してそれを超えることはないということです。

 

いかがですか? ただ頭の中で、み霊によって歩もうと観念的に願っても、それだけでは決してかなうことはありません。そのカギは、あなたの、日々、刻々の、内なるイエス様との会話=生きた交わりにかかっているのです!

 

 

 

(ガラテヤ5:16,25 「私は言います。御霊によって歩みなさい。… もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」

 

(ヨハネ 14:16,17,20 「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。…その方は、真理の御霊です。… その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。」

 

(ガラテヤ4:19 「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」

 

 

 

We won’t walk in the Spirit more than we talk to Him.

 

-Mike Bickle-