◆信仰か、理性か◆

 

“信仰”は、あなたが歩けないところまで導いていく。“理性”が“登山家”であったことは、いまだかつてないのだ。

 

E. W. ケニヨン(牧師)~

 

 

 

【解説】 この短い一節は、信仰の持つ力をよく言い得ていますね。“理性”は、どんなときも、自分の歩ける平坦な道を選び、歩いていきます。その道を常識道と言います。それは安全な道です。汗をかくことも、膝をすりむいたり、時には捻挫したりすることもありません。でも、彼には、決して山の頂から、輝く朝日を見ることもなければ、それまで見えなかった広々とした世界を見回すこともできません。けれども“信仰”は、その道が途絶えたところから始まるのです。行き詰まった常識道の眼前には、山の頂上を目指す細い一本道が見えます。その道を信頼道と言います。それはなぜか自力では一歩も前に進みません。でも、肩の力を抜き、見えないガイドに100パーセントお任せして、一歩を踏み出すと、不思議なことに頂上を目指して歩きだせるのです。ガイドの声が聞こえます。「さぁ、もう一歩踏み出して。次の一歩は私が手を取って引いてあげるから。」途中、ざわざわと、否定風や“疑念風”が吹きますが、一切耳を貸さずに、導かれるまま一歩一歩上っていくと、気がついたら、私は、信仰の高嶺にたどり着いていたのです。私が歩けないところまで、信仰が導いてくれたのです!

 

 

 

"Faith will lead you where you cannot walk. Reason has never been a mountain climber."

 

E. W. Kenyon, pastor