◆主よ、悟りの心を与えてください◆

 

何度も何度も繰り返して、イエスの弟子たちは、自分たちの目の前で主がなされることを理解し損なった。このことは、現代の私たちの明瞭な理解の欠如についても、希望を抱かせるに違いない。

 

~マット・ブラウン~

 

 

 

【解説】 最初にこの文を一読して、訳者は思わずクスリとしました。人間はなんでも自分に都合よく解釈しますから、「サザエさん」のマスオのように、「じゃ、僕みたいに分からなくてもいいんだ」と安心する人が、3人ぐらいはいるかなと思ったものですから。冗談はさておき、ここは確かに、3年半、イエス様と寝食を共にした弟子たちでさえ、霊的な理解力は極めて鈍かったのですから、私たちが分からなくても不思議ではないという前提に立っています。けれどもそのあとに来る希望は、「きっとこのままでも許してもらえるだろう」という希望では断じてありません。これは、「こんな私でも、その理解力を祈り求めて、聖霊のお力によって聖書を読み進めば、その力を増し加えていただけるに違いない」という希望ですね。

 

“主よ、私に、見ることのできる目と、聴くことのできる心をお与えください。”

 

 

 

Over and over again, Jesus’ disciples missed what He was doing right in front of them. Which should give us hope for our own lack of clarity today.

 

-Matt Brown-

 

Lord, give us eyes that see and hears that hear.