◆服従: 信仰が創り出すもの◆

 

“信仰”は速やかな“服従”を創り出す。

 

 

 

【解説】 神様は、“無”から“有”を創造するお方です。(創世記 1:2 「地は茫漠として何もなかった。」状態から、神様はこの世界の全てを、有形の物も、無形のものも、お言葉によって創られました。この”服従”もその一つです。天地も、全ての被造物も、そして最後に人間も、生きとし生けるものは、全て創造主のみ言葉「○○あれ」に“服従”することによって生み出されました。しかし人間は、与えられた自由意志を悪用して、初めて父なる神様の戒めに服従せずに、善悪の木の実を食べて、初めての罪を犯しました(創世記3:17)。その瞬間に、この“服従”という最も美しい徳も消えたのです。しかし神様もまた、その人間の堕罪の瞬間から、“信仰”による救いの道を備えてくださいました(同3:15 原福音)。こうして、罪のゆえに失われた”服従”は、”信仰”によって、再び信じる者の心のうちに創り出されるようになったのです。ですから、しかと覚えていましょう。神に逆らって罪を犯した人間の内に、まことの服従心はもはやありません。この世界の争い、混沌、無秩序は、全てここから生まれています。”服従”は、肉なる自分の内にはひとかけらもないもの、神様を信じた瞬間に、神様ご自身が再び創造してくださるたまものなのだということを―。この罪の世に、神様に服従することには、多くの困難と、戦いと、犠牲が伴います。でも、そのために支払われたみ子の十字架の犠牲に比べたら、何ほどのものでしょうか。私たちが神様への服従を貫くときに、神の被造物である私たちの住むこの世界の様々な秩序が、あなたの周り(家庭、地域社会、職場、教会)から回復していきます。私たちは、“服従”の生み出す大いなる祝福を、享受できるようになるのです。