◆罪は、殺すか殺されるかです◆

 

もしあなたが罪に対して死ななければ、罪のために死ぬことになる。

 

もしあなたが罪を葬り去らなければ、罪があなたを葬り去ることになる。

 

 

 

【新共同訳】(Ⅰペトロ 2:24 「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」

 

 

 

【解説】 「葬り去る」と訳した原語slayは、文字どおり「殺害する」という意味の他に、「根絶する」という意味もあります。クリスチャン的に言えば、これは「聖絶する」、神のみ名において、徹底的に根絶やしにするということですが、これは私たちの力ではできません。そもそも“罪”は、サタンの“所有物”ですから、私たちが罪を犯したとき、サタンがまずやることは、罪を罪と認めさせないこと、巧みにカムフラージし、いかにももっともらしい理由を持ち出して、自分を正当化させることです。これができたらサタンはしめたもので、私たちの良心はマヒし、周りから指摘されればされるほど意地になり、事態を破壊的結末に向かって拡大させていくことになります。私たちは、罪を犯したそのときに、細く小さな声でささやかれるご聖霊のみ声に、素直に従わなければなりません。そして、その小さな罪を、小さいうちに、断固として“葬り去る”のです、主の十字架のもとで! そのためにイエス様はお苦しみを受けました。主の受難を覚えるこの時、何よりも思いをはせなければならないのは、このことではありませんか?

 

 

 

If you do not die to sin, you shall die for sin.

 

If you do not slay sin, sin will slay you.