◆スポルジョン流 十字架考◆

 

ある驚くべき“愛のひと飲み”において、主はご自身のものである人々全てのために、“滅び”を永遠に飲み干してしまわれたのである。

 

十字架のみもとで憩うことに達しえない信仰は、なんであれ、天に足を踏み入れることにも達しえない信仰である。

 

 

 

【解説】 前半が、いかにもスポルジョンらしい表現で、あのゲッセマネの園の飲むべき杯(=十字架の受難)のことを言っていますが、まさしくそれは、私たちを永遠の滅びから救い出すために、最後の一滴まで飲み干された主の“愛のひと飲み”でした。

 

そして後半は、その十字架に対する、完全な明け渡しのない信仰の不完全さに警鐘を鳴らしています。それはあたかも、十字架の前でまだ幾つかの荷を負うたまま、安息を得られずにいる人の姿ですが、まことの信仰は、自力に頼ることを100パーセント放棄して、重荷を大きいものから、小さなかけらまで、全て主の十字架のもとに置くことです。100パーセント身軽にならなければ、100パーセント携え上げられて、天の門をくぐることはできないのです。

 

 

 

At one tremendous draught of love the Lord for ever drank destruction dry for all his people.

 

Any faith that rests short of the Cross is a faith that will land you short of heaven.