ある驚くべき“愛のひと飲み”において、主はご自身のものである人々全てのために、“滅び”を永遠に飲み干してしまわれたのである。
十字架のみもとで憩うことに達しえない信仰は、なんであれ、天に足を踏み入れることにも達しえない信仰である。
【解説】 前半が、いかにもスポルジョンらしい表現で、あのゲッセマネの園の飲むべき杯(=十字架の受難)のことを言っていますが、まさしくそれは、私たちを永遠の滅びから救い出すために、最後の一滴まで飲み干された主の“愛のひと飲み”でした。
そして後半は、その十字架に対する、完全な明け渡しのない信仰の不完全さに警鐘を鳴らしています。それはあたかも、十字架の前でまだ幾つかの荷を負うたまま、安息を得られずにいる人の姿ですが、まことの信仰は、自力に頼ることを100パーセント放棄して、重荷を大きいものから、小さなかけらまで、全て主の十字架のもとに置くことです。100パーセント身軽にならなければ、100パーセント携え上げられて、天の門をくぐることはできないのです。
At one tremendous draught of love the Lord for ever drank destruction dry for all his people.
Any faith that rests short of the Cross is a faith that will land you short of heaven.
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