◆教会を居眠りの場となすなかれ◆

 

ああ! もし私たちが、我らの牧師たちこそ“人間の華”であった時代―かのピューリタン(清教徒)時代に帰れさえしたなら…。ああ、再びピューリタン的清冽な信仰を取り戻すためには、まどろむ聴衆、がらんとした会堂、真理を語るすべを知らず、びろうどのように滑らかな舌で、自らも眠るがごとき説教者たちを抱えていてはいけない。私たちは、“いと高きところには神に栄光を、地の上では、み心にかなう人々に平和を(訳注:ルカ214)をもたらすべきなのだ。

 

 

 

【解説】 現代のバプテスマのヨハネのような、歯に衣を着せぬ、なんとも手厳しいスポルジョンの言葉ですが、人間的な成功と栄誉と説き、内面の罪にはふたをして、ひたすら表面的な安逸感を満足させる“偽りの福音”ではなく、聖書に固く立ち、己の罪をしかと見据え、そこからの唯一の解放者であるキリスト・イエスへと招く、”まことの福音”に立ち返れと、彼は語る者にも聴く者にも警鐘を鳴らしているのです。もはや古典とも言うべき古きスポルジョンのメッセージが、いま新たな光を放つゆえんです。(そして訳者が、心を込めてご紹介している理由でもあります。)

 

 

 

Oh! if we might but go back to those days when the best of men were our pastors-the days of the Puritans. Oh! for a puritanical gospel again, then we should not have the sleepy hearers, the empty chapels, the drowsy preachers the velvet-mouthed men who cannot speak the truth, but we should have “Glory to God in the highest, on earth peace, and good-will towards men.”