◆目が、涙が聖められたとき◆

 

◆信仰と希望と愛の庭で◆

 

―目が、涙が聖められたとき―

 

 

 

もしも“目”が魂をのぞかせる窓なら、“涙”は天に降る雨である。

 

~アンソニー・リシオーン~

 

 

 

【解説】 これは、陸軍の予備役に籍を置きながら、精力的に詩や記事をブログに投稿している現代アメリカの若き詩人の言葉です。彼は、…やはり詩人ですね。そしてキリスト者の私たちにとっては、この一節は、ある大切な真理を教えているような気がします。それは、私たちが聖霊のみ力によって聖められるとき、その聖潔は文字どおり“身も心も”、そう、目にも、涙にさえも及ぶということです。そうです、よみがえられたイエス様のみ体が、もはや地上のものではなかったように、それは依然として私たちの肉体の一部でありながら、それを超えて霊の世界をかいま見る器官に変えられているのだということです。私たちの目は、人の魂の内をまっすぐに見られるほどに、そしてあなた自身の人格を一目で見せられるほどに、澄んでいるでしょうか? そして魂のために流す涙は、たとえ悲しみと苦しみのさなかであっても、そのあとに来る主に在る喜びを信じて、天=神のみそばに差し出されているでしょうか?

 

 

 

If eyes are windows to the soul, then tears are heavens rain.”

 

Anthony Liccione