◆人が傷つくとき◆

 

ああ、自分について真実でないことが言われて、自分の名声が失わたと感じ、自分が中傷されていると思うのは、心穏やかなことではない。他のいかなることで気落ちすることはなくとも、多くの男の心は、この一事で打ち砕かれてしまうのだ。 

 

【解説】 確かに…。でも、イエス様は、十字架への道行き(裁判-悲しみの行進―十字架刑)で、神のみ子であられたのに、罪びととして父なる神様からみ顔を背けられるという屈辱と、心臓が破れるほどの心身の苦痛を、極みまで味わわれたのですね。私たちのこれらの自我の痛みをも全て身代わりに負われて。私たちが、己に死に、内住のキリストと共に生きるために――。

 

(Ⅰペテロ2:22,24 「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

 

(ガラテヤ 2:20) 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

  

Oh! it is no easy thing to feel your character gone, to think that you are slandered, that things are said of you that are untrue. Many a mans heart has been broken by this, when nothing else could make him yield.