◆”祈り”はキリスト者のIDカード◆

 

もしあなたが祈るなら、あなたは「キリスト者」の証明書を持っていることになる。祈りが少なければ少ないほど、あなたが“自分はキリスト者である”と信じる根拠もまた少なくなる。もしあなたが祈りを全く無視するようなことにでもなれば、それはあなたが”呼吸”をやめたということであり、“自分が全く呼吸をしてこなかったのではないか”と恐れる仕儀に相成るのだ。

 

 

 

【解説】 私の投稿記事は、原文にタイトルがない限り、全て私が付けていますが、今日の今ふうのタイトル、ちょっとカッコいいと思いません?(こういうのを典型的”自画自賛”というのですが、めったにない機会なので!)そして本文に目を転じれば、途端に我が身を振り返って膝を正すことになりますね。(あ、これ私のことです。)最後の1行など、人の心にズサリと食い入るスポルジョンの真骨頂で、私たちをして、「クリスチャンになって〇年、私は何をしてたんだろ? 生きてさえなかったの?」と、神様の前に深く悔い改めを迫らせるのに十分ではないでしょうか。でも、かのルターが言ったように、キリスト者の生涯は、”日々悔い改めつつ、遥かな道を行くがごとし”ですから、今日からまた新たに“呼吸の祈り”を始めればいいのです。神様にクリスチャンだけの特権として与えられた、このIDカードを汚さないように――。

 

 

 

If you pray, you have a proof that you are a Christian; the less you pray, the less reason have you to believe your Christianity; and if you have neglected to pray altogether, then you have ceased to breathe, and you may be afraid that you never did breathe at all.