神様が、子どもたちをお与えになったのには、単に子孫を維持するということ以上の意味があります。
それは、私たちの心を広げ、利己的であるのをやめ、優しい同情心と愛情で満たすためです。
私たちの魂により高い目標を与え、私たちの全ての才能と機能を呼び覚まして、大いなる計画と働きに立ち向かわせるためです。
そして、暖炉の周りを、輝く顔と、幸せそうなほほえみと、愛すべき、優しい心で占めるためなのです。
~メアリー・ボーサム・ホーウィット~
【解説】 2番目の目的は、こういうことでしょう。もし私たち大人だけだったら、どんなに事業を広げても、偉大な働きをしたとしても、しょせんそれらは、自己目的、自己満足、自己繁栄のためのむなしい業にすぎません。しかし次世代を担う子どもたちがいることによって、私たちは”彼らのために”、彼らに、より豊かで、より平和で、より住みやすい社会環境を残してあげるために、持てる全てのものを――才能も、時間も、財も、惜しみなく注ぎ込むことができます。一切の“利己心”を捨てて、純粋に“他者”のために――。
“子どもたちが与えられている恵み”――ここにも、私たちは神様の創造のご意志をしっかりと認めなければなりません。その大切な器であり、宝である子どもたちを、虐待したり、命を奪ったりする大人の“罪の愚行”を、断じて許してはならないのです。それは大人である者の責任です。
God sends children for another purpose than merely to keep up the race - to enlarge our hearts, to make us unselfish and full of kindly sympathies and affections; to give our souls higher aims, and to call out all our faculties to extended enterprise and exertion; to bring round our fireside bright faces and happy smiles, and loving, tender hearts.
~ Mary Botham Howitt
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