◆霊想書だけではダメなのです◆

 

日々、霊想書を読むだけでは、あなたが神の子どもであることを証明することはできない。もし隠れたところで祈るなら、そのときにあなたは、まことの信仰を持っていると言えよう。信仰が真実なら、たとえそれがどんなに小さなものであろうと、山と重ねた“信仰の装い”よりもいいのだ。

 

 

 

【解説】 原文を読んだとたんに、“これは自分のことか!”と、ぎくりとして、思わず訳そうかどうか躊躇しました。今日の一文では“まことの”と訳し、昨日は“純粋で真実な”と訳した原語sincereシンシアは私の好きな言葉の一つで、他にも、「誠実な、偽りのない、裏表のない、混ぜ物のない」というような意味があります。たとえからし種ほどであっても、そのような信仰をいつも持ち続けたいものですね。

 

 

 

(マタイ6:6 「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」

 

 

 

The mere reading of a book of daily devotion will not prove you a child of God; if you pray in private, then you have a sincere religion a little religion, if sincere, is better than mountains of pretense.