◆教会:神が応えられるところ◆

 

もし私たちが共に集まれば、天が応えてくださるということには、確実性があります。それは、長い年月にわたって、教会を支えてきた“現実性”です。また、それこそは、神様が私たちに、“それに依って生きるように”と望まれる現実性なのです。

 

~ウェス・ホール~

 

 

 

(マタイ 18:20 「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

 

 

 

【解説】 教会は”エクレシア”、神に召し出された者の群れです。そこに私たちを召される神様の主権がありますが、召された者はどうするのか。まず一つところに共に集います。そして、召されたお方との霊の交わり=礼拝をし、祈りをささげます。その祈りに神様が応えてくださるのです。そして召された者たちが、み言葉を宣べ伝え、互いに愛し合い、主の聖餐を守り、信じた者にバプテスマ(洗礼)を施し、キリストの体なる教会、神の家族が形成されていきます。これが、神様の真実であり、私たちが目の当たりにすることのできる“霊的現実”です。その意味で、教会は、”召された者の群れ”であるのと表裏一体をなすように、“神に応えられた者の群れ”なのです。現実には、人間の生来の罪が、この教会の中にも様々な問題を引き起こしますが、私たちがどんな場合にも、そう、危機的状況の中にあっても、決して忘れることなく、いつもそこに立ち返り、それに依り頼み、また一歩を踏み出すべき原点は、幾世代を乗り越えてきたこの”霊的現実”であることを、今一度心にとどめましょう。

 

 

 

There’s a certainty that if we gather together, heaven will answer; that’s the reality that has sustained the Church through the ages. And that’s the reality God wants us to live by.

 

-Wes Hall-