◆説教者の真実な告白◆

 

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆

 

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

 

―説教者の真実の告白―

 

 

 

ああ、聴衆の方々、真実の聖職者が、いかにあなた方の魂を愛しているかについて、皆さんはほとんど考えないかもしれない。ここに立ってあなた方に説教するのは、たやすいことのように、たぶんお考えだろう。神はご存じだが、もしただ語って事足りるなら、確かにたやすいかもしれない。だが、皆さんの救い、あるいは永遠の裁きが、ある程度、私が語ることに懸かっているとひとたび考えたら…。私が魂の不忠実な見張り人で、そのせいで神が、あなた方の血をこの手に求めることを想いみたら…。ああ、善なる神よ、私が生涯において、数え切れぬほど多くの人々に説教し、その中で多くの言うべきでないことを言ってしまったことに思いをはせたら…、私はただ震えおののくばかりだ。

 

 

 

【解説】 スポルジョン自身の赤裸々な心の内を表すために、あえて主語は「私」と訳しましたが、原文は「私たち」、すなわち主に召された教役者、牧師、神父の全てを指しており、その中には、あなたの教会の牧師、そしてその業に召されている牧師の方々ご当人も含まれています。その働きの中でも中心をなす、彼が、いみじくも“震えおののく”と告白した説教の重要さを考えたら、まさしく「主の召しなくば、誰がこの重荷に耐ええんや」と言うところでしょう。信徒である私たちは、この一節から、①牧師は、委ねられた魂を心底愛し、見守っておられることと、②説教を聴く魂の永遠の“住みか”を委ねられた、ともすれば押しつぶされそうな重責の中で、命を懸けて語っておられるのだということを日々覚えて、祈りにおいてお支えしなければなりません。

 

 

 

Oh, my hearers, ye little think how Gods true ministers do love your souls. Perhaps ye think it is easy work to stand here and preach to you. God knows, if that were all, it were easy work, but when we think that when we speak to you, your salvation or damnation in some measure depends upon what we say-when we reflect that if we are unfaithful watchmen, your blood will God require at our hands-oh, good God, when I reflect that I have preached to thousands in my lifetime, many thousands, and have perhaps said many things I ought not to have said, it startles me, it makes me shake and tremble.