◆だから”新生”を語るのです!◆

 

この“新生”は、全ての宗教の中で、最も神秘にして不可解なものである。もしあなたが何を語っても、”新生”さえ避ければ、いつであれ聴衆の受けはいいだろう。だが、あなたが天に入るための必然である“新生”に固執するなら、必ずそこには激しい変化が生じることになろう。これは聖書の教理であるにもかかわらず、概して人間にとってはあまりに不快なテーマなので、彼らがあなたに耳を傾けることは、まずないと言っていいだろう。 

 

【解説】 なぜこのテーマが不快なのでしょうか? それは、私たちに、自分の”罪”と直面させ、”罪人”である自分を認めさせることになるからです。ビリー・グラハム博士は、「人間が一番言いたくない3語、それは“私は 悪い 人間だ”(I am wrong)という言葉です。」と語りました。確かにこれさえ避ければ、説教者は、また証し人としての私たちは、どんなテーマでも自由に語れます。相手を傷つける心配がないからです。でも、でもです。この“認罪”なくしては、人は新しく生まれることはありません。どんなに正しい、立派な善行をしても、神の国に入ることはできないのです。愛する人に、どんなにつらく厳しくとも、“認罪と悔い改め”の必要を、そしてそのあとに待つ“新生”の喜びと恵みのすばらしさを、上よりの力を頂いて、語りましょう。 

 

(ヨハネ3:3 「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』」 

 

This new birth is the mysterious point in all religion. If you preach anything else except the new birth you will always get on well with your hearers; but if you insist that in order to enter heaven there must be a radical change, though this is the doctrine of the Scripture, it is so unpalatable to mankind in general that you will scarcely get them to listen.