◆とりなしで働く神の力◆

十字架の前でも、十字架のあとでも、神様は、とりなしの祈りを通してご自身の力をお放ちになります。

 

【解説】 この“とりなし手”とは誰でしょう? 第一に、それはみ子イエス様です。彼は十字架の前に、あの“大祭司の祈り”によって、弟子たちのために、そして主に従う全ての人のために(その中の一人はあなたです!)、とりなされましたし(ヨハネ1517章)、十字架上で、ご自身を死に渡した者たちのためにもとりなされました(ルカ2334)。そして、天にお帰りになってからは、父なる神の右のみ座で、私たちのために日夜、とりなしていてくださいます(ローマ82634)。そのイエス様に倣って、第二に、私たちもまた“とりなし手”として召されています。そしてそのとりなしの祈りは、とりなす相手が“十字架の前”の人、すなわち未信者や求道者の方でも確かに聴かれますし、“十字架のあと”の人、すなわち、同じ信仰者のためのものも、もちろんのこと、聴かれます。そして、神様がご自身の力を発揮なさるのは、私たちの思いを超えた、ご自身の主権に関わることですが、その力を行使なさる動機と道筋を、私たちのとりなしの祈りに委ねられたというのです。それは、魂の救いのために、ご自身の福音を私たちに委ねられたのと同じです。恐れおののきつつ、今日も、この召された“とりなし”の業に励まねばなりませんね。

 

Before the cross and after the cross, God releases His power through intercession.