◆”恵み”の見分け方◆


人を他者よりも良くすることのない“恵み”は、無益な“まがいもの”である。

 

 

 

 

【解説】 「他者よりも良く」と言うと、何か他者と競い合っているイメージに捉えがちですが、これは人との比較の問題ではなく、むしろ自分との比較の問題、与えられた恵みによって、自分がどれほど神様のみ心に沿う者に変えられたか、どのくらいイエス様のご性質に近くなったか、と考えるべきですね。逆に、もし“無益な恵み”というものがあるとすれば、それは、神様の恵みに浴しながら、偏った性格も一向に改まらず、愛が増し加えられもせず、神様を知らなかった時と同じように、自分になんの変化ももたらさないどころか、かえって堕落させてしまうような恵みです。そもそも、そのようなものは断じて“恵み”とは呼びません。神様の恵みは、私たちが、たとえわずかでも、それによって自らのうちにキリストのかたちがつくられていくために与えられます。“恵み”はそういう意味で、必ず人をより神様に喜ばれる者に変えていくのです。それは、内なるみ霊の実でもありますが(ガラテヤ52223)、その実を結ばないような恵みは、たとえそう呼んだとしても、それは偽の恵み、犠牲を伴わない恵み、永遠にまで続くことのない、一時的で“安価”な恵みであり、しょせん“まがいもの”に過ぎないのです。サタンは、しばしば、そのようなこの世的、肉的“恵み”で私たちを惑わそうとしますが、ゆめゆめ、そのあとを追いかけてはなりません。


 

 

"The grace which does not make a man better than others is a worthless counterfeit."