◆ジョン・パイパー、礼拝と愛を語る◆


  1. あなたの生活が“礼拝”となったとき、神様は、人々の目に価値あるものと見え始める。

    【解説】   「生活が礼拝となる」、これは、クリスチャン生活の“究極の定義”です。外の姿かたちは、他の人々と全く変わらないのに、信仰者の生き方の違うところは、”見えざるお方を、あたかも目の前におられるように、畏れて生きている“ということです。その生き方が、まだ神様を知らない人々の目に、「この人を、このように畏れさせ、あがめさせる存在とはいったい何だろう? そして、かつてのこの人を、このように変えてしまう力を持った存在とは、どのように大きなものなのだろう?」と映り始めるのですね。その意味で、「生活が礼拝となる」とは、言わず語らずして、クリスチャンの“究極の証しともなるのです。

    (ヨハネ 4:23 「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」


  2. 神様が創られた全てのものは良きものです。創られた全てのものは、礼拝と愛のためです。それは、宴(うたげ)のごちそうで楽しむときにも、断食をするときにも同じなのです。
    【解説】 原文では、この対をなす両極の例に、feasting フィースティング、fasting ファースティングという韻を踏ませています。一方は喜びの極致、一方は苦しみの極致です。でもそのいずれもが、神様と人々に対する礼拝と愛の動機からなされなければなりません。それがなければ、それらはしょせん富者の虚栄と律法主義者の見栄に終わります。なお聖書では、この「宴と断食」は、イスラエルの祭りの両面を表すものとして、しばしば対になって出てきます。(ゼカリヤ819他)


    (Ⅰコリント 10:31 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」
     

  3. 神様の“満足感”の最頂点は、神の民の賛美のうちにある、ご自身の卓越したすばらしさのこだまをお聴きになる歓びです。
    【解説】 畏れ多いことですが、神様を”擬人化”するときに、そのご存在は、俄然身近なものになります。神様が、私たちの賛美の余韻の中にさえ、歓びを感じられ、深い幸福感で満ち足りておられる姿…! 救われた民の第一にすべきことは、伝道にも、証しにもまして、“賛美”です! 昨日救われたあなたも、信仰歴50年のあなたも、日々を賛美の中に過ごしましょう。その賛美の中に主はおられ、そのこだまのかすかな響きも、神様を幸せにするには十分なのですから!
    (詩篇 22:3 「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」

 

  1. When your life becomes worship, God begins to look valuable to other people.
    "The hour is coming...when the true worshipers will worship the Father in spirit and truth" (Jn. 4:23).

  2. Everything God made is good. Everything is for the sake of worship and love. And this is true both in the feasting and the fasting.

  3. The climax of God’s happiness is the delight He takes in the echoes of His excellence in the praises of His people.