◆主の苦しみの十字かは誰がため?◆

【マタイ26:39それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。

 

「この杯を過ぎ去らせてください」と、園でキリストが言われた言葉を、私は黙想してみただろうか? そして、もしキリストが、この苦しみと犠牲の苦き杯を飲み干す道を選ばなかったら、私自身の人生はどうなっていたかと考えてみただろうか?(マデレイン・ワー)

 

 「イエスは園におられた。―それは、あの最初の人アダムが、神と共なる喜びのうちにそこにいながら、罪のゆえに自らを、そして全人類を破滅させた園ではなく、あのお方が、神に見放されんとする苦しみのうちにそこにいて、勝利のうちにご自身を、そして全人類を救われた、“祈りの園”だった。」(ブレイズ・パスカル)

 

【解説】私たちも今、静まって、マデレインさんと同じような思いで、心を探られなければなりません。自らの救いの確かさと、深い感謝の思いを新たにするために――。パスカルの言葉は、そのままではやや難解ですので、適宜補いました。