◆義とはせずとも正当化する◆

“業”は、神の前に人を義とはしないが、同輩たちの前で、自らの信仰告白を正当づけるものだ。

 

【解説】これは、キリスト者にとって大切な命題の一つであり、パウロとヤコブの神学の対比にしばしば用いられる、“信仰”と“業”との相関関係を、いかにも“論理を言葉で表す達人”のスポルジョンらしく見事に言い表した一節です。カギになる言葉はjustifyで、前半では「義とする」、後半では「正当づける」と訳しましたが、前半は、「人を神のみ前に義(正しい)とするのは、人の良き業・働きではなく、信仰のみである」というパウロ神学を表し、後半は、「しかし、信じたといいながら、それが良き業・働きとして表れない信仰は、まことの信仰とは言えない」というヤコブ神学を表しています。そしてこの両者は、いずれも聖書から導き出される、車の両輪として相互に補い合う“信仰”に関する真理なのです。

 

Although works do not justify a man before God, they do justify a man’s profession before his fellows.