◆祈りに関する先達の言葉◆

◆祈りの家◆

―祈りに関する先達の言葉―

(「祈りの家」で神に用いられている3人の一言をご紹介します。)

 

私の祈りは、私の行けないところへ行くことができます。

私の言葉は、私の行けないところへ行くことができます。

私の歌は、私の行けないところへ行くことができます。

そしてそれらは、“時”と“距離”を超えるのです。

~コーリー・ラッセル~

 

【解説】 はい、あなたの「祈り」は、なんの手段も要らずに、神様のもとに即 届き、そして神様が祈っている人のもとに届けてくださいます。み霊によって直接に、あるいは人を通して―。「言葉」と「歌」は、あるいは文字となり、あるいは音声となって、手紙、メール、さまざまなSNSのネットを通して、世界中に届けられます。そのあるものは長く、時にはあなたの死後も、人々の心に残ります。まさしく“時空”を超えるのです。その中でも、たとえ全てのものが失われても、様のみ前から、決して失われることはないのが、あなたの「祈り」です。そして、それを信じて歩むのが、キリスト者の“信仰”の核だと覚えましょう。

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”祈る”という、まさにその行為そのものが、「神様はおられる」と言っているのです。このお方は、私よりも大きく、全てのことをみ手に収めておられます。

~ミスティー・エドワーズ~

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“信仰”は、”送電線(パワーライン)”です。しかし、それにスイッチを入れるのは、“祈り”なのです。

~ラインハルド・ボンク~

【解説】 “ライフライン”という言葉が最近、よく使われますね。もともとは救命索、命綱のことですが、転じて死活に関わる生命線、唯一の頼り、頼みの綱、という比喩的な意味でも用いられます。テレビの「ライフライン」も、この生命線としての福音を伝えるという意味で命名されたのでしょう。それに対し、こちらは”パワーライン”です。電気がなければ、人間社会は成り立ちません。世界が暗黒に閉じ込められるのみか、交通機関は動かず、通信手段も途絶え、病院はたちまち死人の山となります。その意味では、ライフラインに通じますが、信仰の世界のパワーラインは、神様から、霊的に生きる力、み霊の力を送っていただく”霊的送電線”とも言うべき「信仰」を指します。でも送電線のおおもとの変電所のスイッチが入らない限り、電流は流れないのと同じように、霊的送電線も、そのままでは神様の力は流れてきません。それを可能にするスイッチが“祈り”だというのです。「絶えず祈る」(Ⅰテサロニケ517)ことがどんなに大切か、お分かりいただけるでしょうか?

 

My prayers can go where I can’t, my words can go where I can’t, my songs can go where I can’t and they transcend time and distance…

-Corey Russell-

 

"Just the act of prayer is saying that there is a God; He's bigger than me and He's in control." —Misty Edwards

 

Faith is the power line, but prayer switches it on.

-Reinhard Bonnke-