教会の分裂が、救い主への愛に満たされている人から始まることは決してない。
【解説】 人間の罪の現実は、キリストの十字架の血潮によってあがなわれた教会の中にも、悲しいかな、”分裂・分派・不和・不一致“となって表れます。その背後には、キリスト者一人一人の内にある自己中心、党派心、ねたみ、そねみ、嫉妬心などが潜んでいます。砕かれきっていない、キリストの血潮によって聖められていない“自我“があるのです。そこに決定的に欠けているのは、自分のために命を捨ててくださった救い主イエス・キリストと、そのみ体である教会への満ちあふれる愛です。この愛こそが、不完全な私たちが、互いをありのままで受容し、赦し合う原動力となるのです。そこに、“教会の分裂”(=キリスト者の対立、神の国の崩壊!)を最大のターゲットにするサタンの付け入る隙はありません。
(ガラテヤ2:20) 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
(Ⅰペテロ 4:8) 「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」
Divisions in Churches never begin with those full of love to the Saviour.
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