◆最上の感情コントロール◆

私たちの感情は、一生懸命に努力して変えられるものではなく、よりはっきり見ることによって変えられるのです。

~マイク・ビックル~

 

【解説】 なかなか意味深長な言葉ですね。ここで言っている“感情”は、変えるべきものですから、“悪しき感情”です。例えば(マルコ7:21-23「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(ガラテヤ5:19-21「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。」の中にある、「ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさ、敵意、争い、そねみ、憤り」といった感情のことです。まだ信仰を持っていない人の場合は、ある意味、このような悪感情が支配する中で生きているとっても過言ではありませんが(そのおかげで?、映画もドラマも成り立っています!)、イエス様に救われたクリスチャンも、しばしばこの思いに捉われて苦しむことがあります。他人ごとではないのです。原因は私たちのうちに住む”肉”、聖霊によって完全に支配されていない生まれつきの性質のなせる業です。そこでビックルは、「よりはっきり見なさい」と勧めます。何を? イエス様のみ姿です! パウロは、上記の”肉”の感情に続いて、“み霊の実”を挙げていますね? 

(ガラテヤ5:22-26 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」

これは、イエス様のみ霊の実であり、福音書に描かれたイエス様のご生涯の、一つ一つのエピソードの中にありありと描かれた、慕わしい、“良き感情”です。祈りの中で、日々み言葉に親しみ、よりはっきりと「この方を見る」(ヨハネ195)のです。そして、このお方のかたちが、少しずつ、少しずつ、生涯をかけて我がうちに成るまで、パウロと共に私たちも“生みの苦しみ”をしなければなりません(ガラテヤ418)。

愛する友よ、肉の努力はもはやおやめなさい。そして、イエスのみ霊に、全てをお委ねなさい。キリストの麗しいみ姿を自分の中に思い描き、そのみ姿に少しずつ変えられていく自分をイメージなさい。そのときに、本当に不思議なことですが、あなたの語る一言一言、さりげない行為の一つ一つが、変わっていくのがお分かりになるはずです。あなたがみ霊によって導かれ始めた証拠です。そのときに、私たちに約束されているこのみ言葉は、あなたのうちに、私のうちに成就します。神様の祝福がありますように――。

(Ⅱコリント 3:17,18 「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 

Our emotions are not transformed by trying harder, but by seeig more clearly.

-Mike Bickle-