◆あなたの”領域”に印をつけて◆

私は早朝、日課をしに外に出ます。散歩と、次のことを祈るために――。

今日も良い日であるよう、神様のみ助けがありますように。

我が子たちが、正しいことをしますように。

神様が、力ある天使たちで彼らをお守りくださいますように。

私たちの家族それぞれの“境界線”が、

神様の栄光が現れるほど豊かに油注がれますように。

あなたがどこへ行っても、自分の“領域”に印を付けることができます。

天のすばらしい祝福の跡を残すのです。

”敵”はその一線を越えようとするたび、大いなる困難を覚えます。

神の人々の祈りは、いつでも聴かれているからです。

~愛を込めて。リンダ~

 

【解説】 私たちの信仰生活の、また新たな視野を広げてくれる一文ですね。H.クラウド、J.タウンゼント共著の本のタイトルから、“境界線”(原文では“境界”)という言葉が、最近よく聞かれるようになりました。(ただしその言葉の原文は、本のほうはboundariesバウンダリーズ、この詩のほうはbordersボーダーズ、“親戚語”です。)この詩では、この言葉は“キリスト者とこの世との境界線”を表しています。私たちはこの世の真っただ中でキリストの証人として働いていますが、この世と連続していながら、確とした不連続の部分を持たなければなりません。それは神様と共なる領域、祈りの領域、内なる信仰の自由の領域で、この世の企業や組織や国家権力でさえも、決して侵すことのできないものです。著者のリンダさんは、この”境界線””領域”をこそ、私たちの証しのスポットにしなさいと勧めます。この世の様々な境界線のように、それを“拒絶・拒否・不協調・孤立・疎外“の場としないで、キリストに在る豊かな愛によって、人々への”受容・理解・親切・協力・援助“の場にするようにと。それは、日々の私たちの心に、“祈り“によって聖霊の油注ぎがなされているときに、可能になります。”敵”であるサタンは、執拗にこの境界線を攻撃し、私たちの内なる領域に侵入して、私たちに、神ならざるものを神としてあがめさせようと躍起になります。この境界線を崩して、この世との妥協、世俗化、聖なる領域の放棄へといざなおうとするのです。けれども、私たちの心がみ霊の愛に満たされている限り、それは不可能です。それらを断固として退けつつ、私たちにできるのは、ひと言の優しい言葉、無言のほほえみ、さりげない助けの手、時には犠牲を惜しまない労力の提供、そして心を込めたとりなしの祈り…、これが、奇跡をもたらす”領域へのマーク〈しるし〉”であり、“天の祝福の跡”です。私たちは、このような愛の業によって、“私の領域=神様の領域”を広げることができます。愛する人たちを、家庭でも、職場でも、電車の中でさえ、私たちの“境界線”の中に引き入れることができるのです。主イエスがいつも共におられ、主の遣わされた天使たちが鉄壁の守りをしてくれる、神の国の中へ――。