◆数えもかなわぬ み霊の愛◆

ああ聖徒よ、聖霊がいかばかり御身を愛しておられるかをご存じか? 御身は聖霊の愛を計ること、よくなしうるか? その御魂の御身への愛情、いかばかり深きやを知るうるか? 行きて、御身の指極(両腕を左右に伸ばした長さ)もて、天の広さを測りてみよ。行きて、錘(おもり)もて、山々の重さを量りてみよ。行きて、大海(たいかい)の水をすくい、その滴(しずく)の数を数えてみよ。行きて、海辺の大砂原の砂粒の数を数えてみよ。もしこれら全てを成し遂げし暁には、御身は、聖霊の御身を愛すること、いかばかりかを語るを得ん。

 

【解説】 「今日はまたなんと大仰な日本語だこと!」と思われたでしょうね。原文がそうなので、訳としても合わせたほうがいいと思いまして。何しろ、    Do youが文語英語のDost thouドスト・ザウ、Can you Canst thouキャンスト・ザウですからね。でも、スポルジョンの論理的説得力は、十分お分かりいただけたと思います。絶対に人間の力では計測の不可能な例を挙げて、それができるなら、これもできる。⇒到底できない。⇒ならば聖霊の愛の深さを言葉で表すことも無理である、ということですね。この聖霊の愛は、ロマ書8章では、父なる神への“とりなし”の深さという形で描かれています。読み慣れたこの箇所を改めて読み、ここに描かられた「神の愛」は、聖霊のとりなしによって初めて私たちのものになることに気づかなければなりません。その時に、私たちは罪の世に対して”圧倒的な勝利者”であることを改めて確認し、このスポルジョンの言葉が、決してオーバーではないことが分かるはずです。

 

(ローマ人への手紙8:2639抜粋) 「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。…では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。…私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。…しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 

Dost thou know, O saint, how much the Holy Spirit loves thee; Canst thou measure the love of the Spirit. Dost thou know how great is the affection of his soul towards thee? Go, measure heaven with thy span; go, weigh the mountains in the scales; go, take the oceans water, and tell each drop; go count the sand upon the seas wide shore, and when thou hast accomplished this, thou canst tell how much he loveth thee.