◆スピリチュアル・ライフ◆


“霊的生活”とは、

私たちをこの世から“追い出す”ものではありません。

かえって、この世の深みに私たちを導くのです。

(ヘンリ・ナウエン)

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意義深い生活を送ることは、より深いレベルで、より高い水準の生活をするということです。


【解説】この言葉を書いたナウエンは、まさにこの言葉を自ら実践した人でした。彼は”霊的生活”を本当に確立するために、ハーバードの名声と栄光の座を捨てて、カナダのラルシュ・コミュニティーで、最後の20年間を、知的障がい児たちと生活を共にしながら、神の愛を指し示したカトリック司祭でした。マザー・テレサも、そのような人でしたね。彼女も、己の”霊的生活”を、ある意味最もそれにふさわしく、安全な修道院の中で深めようとはせず、あのインドの死にゆく人々の家で、そして全世界の貧困と罪の中にある人々の中で、自らは呼吸のような祈りを通して神様と絶えず“直結”しながら、最も神様に喜ばれる生き方で、世に示しました。確かにキリスト者がこの世のただなかで生きていくときには、罪との間断なき戦いがあり、誘惑に負ける可能性も大きいです。でも、そこにおいてこそ、私たちは、“イエスの愛に守られ、魂の平安の中に生きる”ことの祝福を、神なしに生きる苦しみと悲しみの中で、喜びも希望もなく、滅びに向かっている人々にあかしすることができます。特に日本のキリスト者には、この世の世俗性と、習俗に姿を変えた偶像礼拝との間断なき闘いがあります。万年クリスチャン人口1パーセントの”マイノリティー・コンプレックス”に、ともすれば打ちのめされ、この世でのあかしにも疲れ、教会の中と個人的信仰生活という、安全な“隠れ家”の中で、自分の霊性をかろうじて保とうとしがちです。でも、私たち福音派のクリスチャンたちは、これらのカトリックの優れた先輩たちの姿から、そして何よりも、「あなた方は、地の塩、世の光である」と言われたイエスの生き方と、聖書の言葉から、真の“霊的生活”とは何かを、改めて問い直しています。そして、それは決して、この世から遊離したところに求めるべきものではなくて、まさにこの世の真っただ中で、その罪と世俗性の深みの極まった中で、ひたすら主を求め、主をあかししていく中でこそ確立されていくものであることに、気づかされているところです。


The spiritual life does not remove us from the world but leads us deeper into it.

-Henri Nouwen-