◆何よりも神の義を◆

◆祈りの家◆ 2015.8.10

―何よりも神の義を―

 

イエス様は、“祈り”を、ご自身が定められた”義”を、その極みまでこの世に表すための条件とされました。

 

【解説】 敗戦70周年記念の年の夏を迎えています。70年前の86日、広島原爆投下、9日、長崎投下、15日、ポツダム宣言受諾、そして70年後のこの年、今週には“総理談話”が発表されますが、その中に歴代内閣が盛り込んできた、近隣諸国や世界との平和を保つために絶対不可欠な反省と誓いの文言が収められる見通しとなり、愁眉がやっと開かれる思いです。国政トップの座にある為政者が、それを求める多くの識者・国民の声の大きさに、土壇場で方針を変えるに至ったわけですが、キリスト者の一人である私にとっては、全世界を治めたもう神に、“この国にあなたの義を”と必死に願い求めた私たちの祈りに応えて、主がご自身の義を表された結果だと信じて感謝をささげる者です。

「“祈り”は、この地上に神の義があまねく表されるための神からの”条件”」―この言葉の重みと、私たち一人一人の祈りの責任を覚えて、もう一つの焦眉の急である安全保障法案廃案のためにも、ひたすら祈らねばなりません。この夏を、神の国と神の義を求める“祈りの夏”としましょう。

 

Jesus has made prayer the condition for releasing His justice to the full measure that He has ordained.