◆弱さの中で神の力を知る◆

ダビデの生涯は、”弱さは、神の力を体験する資格をなんら奪うものではない“ということの証言のような人生でした。

~マイク・ビッケル~

 

【解説】 この世に、“弱さ”を知らない人などいるでしょうか? 周りの人が知っているかどうかは別にして、ただの一人もいないと断言できますね。その弱さは、自分自身が一番よく知っています。それを覆い隠そうとして、人は思い悩むわけですが、キリスト者は、感謝なことに、”弱さの中にある恵み”を知っています。だからパウロは、「私は弱いときにこそ強い」(Ⅱコリント1210)と言い放ち、それが人間全てに関する真実だからこそ、神様はその言葉を聖書として残されたわけですが、その”強さ”は、もちろん人間的な強さではありません。彼個人の生まれついての強さでもありません。それは、弱い自分のうちに現された”神の力の強さ”です。その意味で、この聖句は、今日の言葉と照らし合わせるとき、「私は、弱いときにこそ、”神の力”を体験することができる」と、心で読み替えなければなりません。

ダビデは異性に対する肉の弱さ、パウロは肉体的な弱さ、ペテロは自己過信(自信過剰)の弱さ、トマスは猜疑心の弱さ、ザアカイは劣等感の弱さ、ヤコブとヨハネは短気の弱さ…。みんな、みんな、弱さを持っていました。そしてその弱さのゆえに、そんな自分をも見捨てずに愛し、赦し、”神の器”として用いてくださった主の恵みにあずかったのです。あなたも、今、心に”宣言”しましょう。「私には○○の弱さがある。でも、私には、この弱さを通して、”神の力”を体験する資格があるんだ!」と――。

 

(詩篇 31:7「あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます。あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。」

 

David’s life was a witness that weakness does not disqualify us from experiencing God’s power.

-Mike Bickle-

 

"I will be glad and rejoice in Your mercy, for You have considered my trouble; You have known my soul in adversities" (Ps. 31:7).