◆あの喜びを忘れじな◆

たとえ私が全くわがままで、自分自身の幸せしか眼中にないような人間だとしても、もしできるなら、私は神のもとで、”魂を勝ち取る人”になりたい。なんとなれば、私を通して救い主を探し求め、見いだした人のことを初めて聞くまで、私は、最も純粋で気高い魂の状態にある人の、かくも完璧で、あふれ流れるような、言葉に尽くせぬ幸せというものを、絶えて知らなかったからだ。

 

【解説】 このスポルジョンの、偽らざる”告白”は、私たちに、あの初めて人をキリストのもとに導き、手を取り合って、あるいは涙しながら喜びを分かち合った日の感動を思い出させてくれないでしょうか? かくいう私も、今は天に帰られた、救われて1年目で初めて主のもとに導いた愛するK兄のお嬢様方3姉妹に、このFBを通してお会いでき、神様がならせてくださった”魂を勝ち取る人”の特権と、そこから何代にもわたって流れ広がる恵みの大きさに、改めて畏れつつ感謝をささげたことでした。Soul Winner ソウルウィナー、”魂を勝ち取る人”―生涯、この召しに忠実でありたいですね。そのために、イエス様は命を捨てられたのですから――。

 

Even if I were utterly selfish, and had no care for anything but my own happiness, I would choose, if I might, under God, to be a soul winner, for never did I know perfect, overflowing, unutterable happiness of the purest and most ennobling order, till I first heard of one who had sought and found a Saviour through my means.