◆小さな”妥協”狐にご用心◆

(雅歌 2:15)「 『私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や小狐を捕らえておくれ。』私たちのぶどう畑は花盛りだから。」

これは、私たちがイエス様と手を携えて、まだ蕾のままの聖霊の実と、主との親しい交わりを台無しにする“小さなもの”を捕らえるときの、象徴的な言葉を用いた心の叫びです。それはこの“祈り”です。「主よ、いかなるものも、どんなに小さな妥協や罪も、私をあなたのうちにあるこの深き場所から連れ去ることのないよう、お助けください。」ちょうど小狐が、ぶどう畑で柔らかい未熟のぶどうをつまんで食べるように、もし私たちが放っておくと、これらの小さな“妥協”は、しばしば私たちの聖霊の実を、蕾のうちに盗んでいくのです。主よ、お助けください!

 

【解説】 確かに雅歌の言葉は”象徴的”です。「ぶどう畑は花盛り」とは、あたかも相愛のカップルのような、私たちとイエス様との深い、豊かな霊の交わりを表しています。その愛がますます深まっていく前に、まだ蕾のうちに食い荒らす「小狐」は、その主との愛の交わりをめちゃめちゃにする私たちの小さな「妥協」や「罪」だというのです。あの禁断の実を食べてこの世界に”罪”をもたらしたアダムとエヴァを思い出します。「必ず死ぬって意味じゃないわ。死んじゃいけないからってことよ。気をつけて食べればいい。ああ、このいい香り、ちょっと嗅ぐだけ。…ほんの一口だけ…。ねえアダム、あなたも一緒に食べて。一口でいいから。」 はっと気がついたら、二人は取り返しのつかないところまで来ていたのでした。この二人にとっての”一口”は、あなたにとってはなんでしょうか? 「ああ、今はダメ、とても祈れない。やること多すぎ。あとで。」「あームリ。今日はパス! どのみち教会の祈祷会でまとめて祈るからいい。」「もうへとへと。10分も祈れない。今日は3分で勘弁してもらおう。イエス様、分かってくれるよ。」「あれ、今を逃したらもう見られないのよ。祈祷会は毎週あるんだもの。これだけ、今回だけ」――私たちの周りに、主との交わりを妨げる誘惑や妥協の種は、ごまんと転がっています。それらに遭遇するたびに、弱い私たちは、主に助けを求めて、主のみ力で勝利しなければなりません。ひとつの妥協は、いとも簡単に次の妥協を生むのです。その結果、私たちは知らず知らずのうちに、キリスト者が生涯かけて結ぶべき”聖霊の実”をサタンに摘み取られているのだという、霊の世界の悲惨な状況を、今、しっかりと心に刻みつけましょう。

 

"Catch us the foxes, the little foxes, that spoil the vines: for our vines have tender grapes" (Song 2:15). This is the cry of the heart, in symbolic language, to partner with Jesus in "catching" the little things that ruin the budding fruits of the Spirit and our intimacy with Jesus. It's the prayer, "help us Lord and let nothing, no little compromises and sins, take me away from this place of depth in You!" Just like the little foxes eat the tender young grapes, in the vineyards, so these little compromises often steal our budding fruit in the Spirit if we leave them unchecked. Help us Lord!